東京を離れる不安は、消えてなくなっていた。私の横須賀移住を振り返る。

ライター 木内アキ
ライター 木内アキ

人・暮らし・旅の記事を手がける文筆業。「人」への関心を原動力に著名人から一般の方までのべ2000人以上を取材。小学生の頃、ベルギー『小便小僧衣装博物館』に日本から着物を届ける、という機会を得て初めて海外へ。以来、土地が織りなす人々の「暮らし」と「旅」そのものに魅せられる。2018年より東京を出て横須賀市に拠点を移動。「ヨソモノヨコスカ」名義で横須賀生活を執筆。北海道出身。

 

目次

東京を出たい。仕事への不安と、横須賀移住への一歩
引っ越してから感じる、“横須賀にしかない風景”
横須賀の「街」と「自然」が、人生の向上を感じさせる

 

東京を出たい。仕事への不安と、横須賀移住への一歩

東京を離れ、横須賀に移り住んだのは2018年の秋。
そもそものきっかけは、夫が「東京を出たい」と言い出したことだ。

18歳まで北海道の自然に囲まれて育ち、上京してそのまま住み着いた東京は、私にとって「好きだからいる場所」で、当然不満もない。対して23区内で生まれ育った夫は「もっと自然を感じながら暮らしてみたい」のだと言う。

さて、困った。
というのも、当時の私は自他ともに認める仕事人間で、スケジュールなんてものはギリギリまで詰めこむのが当たり前。朝から晩まで取材に出るか、そうでない日は一日中、ときには深夜や明け方までパソコンの前でうなりながら原稿を書いている。

そのころ住んでいたのは品川区。山手線のどの主要駅にも20~30分でアクセスできる便利な場所だというのに、仕事が佳境に入るたび「移動時間がもったいない!」とタクシーに乗り、せっせと電話やメール。疲労も充実の証、と都合の良い脳内変換をしながら、アドレナリンを垂れ流し駆け抜ける毎日。

それでも楽しかったのは、仕事でがんばることが人生の向上である、と信じていたからだと思う。

もし東京を出たら、慣れ親しんだこの暮らしを根本から変えなくてはいけない。
いまいち気乗りはしなかったものの、人生の相棒が抱く思いもむげにしたくはない。「じゃあ都心に2時間以内で行けるくらいの場所ならいいよ」という運びになった。それでも、わざわざ「不便」な場所に行くなんて仕事が減ってしまうのではないか、と心の奥で怖がっていた。

 

引っ越してから感じる、“横須賀にしかない風景”

横須賀に最初から狙いを定めていたわけではない。
まずは「あのエリアが住みやすい」という人のウワサや、ネットの不動産情報などを頼りに、高尾、小田原、相模原ほか、あちこちの街に足を運んで物件と暮らしの雰囲気を見ることから候補地探しをはじめた。

横須賀はそんな過程の中で「たまたま来てみた」街のひとつだ。それなのに、あれ?と思うほどしっくり来たのに自分たちが驚いた。しかも、脱・東京に不安を抱えていた私が、引越しを決意できるレベルの“しっくり”だ。

では、横須賀のどこがいいのか。
ここを言語化するのはどうも難しい。「これこそ決定打!」みたいな確固たる理由があるのとは違う。派手さはないけど着実に重ねてくるボディブローにやられた…… みたいな感じが近しいのかもしれない。

くらったパンチの例を、思いつくまま挙げてみたい。
たとえば、品川区にいたころの私の仕事部屋は、都会の密集した住宅事情のせいか、昼間でも薄暗かったものだ。

一方、横須賀の少し山寄りにある今の住まいは、周囲にさえぎる建物がなくてとても日当たりがいい。仕事部屋には東と南、二面に大きな窓があり、原稿を書いていると開け放った窓から木々のざわめきとトンビの声が聞こえてくる。同じ机の前でも、アドレナリン噴出とはタイプの違う穏やかなモチベーションが湧く。これがまず、なんとも言えない幸せだ。

仕事に煮詰まったとき、以前は近所のファミレスやカフェに逃げていた。
今は愛犬を連れて近所をぷらぷらするだけで、春は菜の花、夏はあじさい、秋は紅葉など “ほんのそこら辺の” 風景からビシバシ季節が伝わってくるのにハッとし、心のもやもやが晴れていく。帰宅する頃にはやる気の充電ゲージが満タンになるのだから不思議だ。

食材を見てワクワクするようになったのも横須賀に来てから。
以前の「買い物の楽しみ」と言えば、服や雑貨を見る類いのことだったけれど、横須賀市内には選びきれないほどたくさんスーパーがあり、それぞれに個性がある。

加えて八百屋や魚屋といった街の商店、ちょっと足を伸ばせば農産物直売所や漁協が営む市場もあり、見たことのない野菜や魚にも出会う。

エプロンを着けて長靴を履いたお兄さんと「この魚はどうやって食べるんですか?」「白身だからフライもいいし、塩焼きでも美味いよ! なんなら三枚におろしてあげようか」なんて会話をするのはなんとも楽しい。

引越してから料理をする機会が格段に増え、冷蔵庫を大きなものに買い換えたほどだ。

この街に暮らす人たちが醸し出す雰囲気も気に入っている。
米軍基地があるお土地柄のせいか、「近所に住んでます」的ローカル感を醸し出す外国人がたくさんいる。当然、スーツの人や親子連れ、お年寄りとかもいて、その中に白い制服に身を包んだ防衛大学校の生徒たちが入り混じる。

オフィス街とも住宅地とも違う、そんな「横須賀」にしかない風景の中を歩くのが好きだ。

心配していた都心までの移動も、想像ほどしんどく思わない自分に驚いた。
自宅から15分ほどバスに揺られて「横須賀中央」駅に行き、京急線の快特に乗って品川駅まで1時間弱。これなら移住というより、通勤に近い時間ではなかろうか。

長年「移動に時間を使うなんてもったいない!」と信じていたが、都心のように10分、15分と細切れで電車を乗り次ぐ必要がない分、読書量は飛躍的に増え、車内でポッドキャストを聴く楽しみもできた。むしろ気を散らさず過ごせる自由時間のような感覚だ。

もちろん移動疲れを感じる日はあるし、それが満員電車ならなおさらだけれど、朝夕の電車が混む時間は+300円で指定席に座れる『ウィング号』が走る。この「いざとなったら座れる電車」があるというだけで、どれだけ肩の荷が下りたことか。

 

横須賀の「街」と「自然」が、人生の向上を感じさせる

なんだ、思ったより悪くないぞ、横須賀生活。
そう感じ始めていた移住の翌年、まさかの新型コロナウイルスが流行。あれよあれよという間に社会のリモート化は進み、オンラインでの打合せや取材は当たり前の選択肢に。

「東京から離れて仕事どうなる?」「地方じゃ不利?」といった不安が、こんな形で解消されていくなんて。しかも都心から離れて暮らすことすらポジティブに受け止められはじめたのだから驚いてしまう。

気づけば、横須賀生活も5年目に差しかかる。
仕事が楽しいのは変わらずだが、スケジュールにはちゃんと余白を作るようになった。昼はパソコンに向かいながら自然の気配を感じ、夜は暗くて広い空に浮かんだ月を「キレイだなあ」と見上げる。

週末は夫婦でクルマに乗って、逗子や葉山、鎌倉方面に出かけたり、美味しいパンを求めて浦賀や三浦などあちこちのパン屋さんを巡ったりもする。移住しようと決めたときにあった「不便」についての怖さは、思い出すこともないまま消えてなくなっていた。

仕事でがんばる以外の人生の向上、ってものをようやくつかみかけてるのかも。
フツフツと湧いてくる、そんな実感。何をしたわけでもなく、映画館や美術館もある便利な「街」の部分と、海・山・畑が広がる豊かな「自然」の部分をいい具合に行ったり来たりできる横須賀のリズムに、ただ乗っからせてもらっただけなのだけれど。

\ 私が紹介しました/

admin