利益より真心を重んじた実業家が設立、【大倉山】の地名・駅名の由来となった「大倉精神文化研究所」
東急東横線「大倉山」駅の西側に延びる坂をのぼり切ったところに、ギリシャ神殿風の立派な建物がある。この辺では知らない人がいない「横浜市大倉山記念館」だ。その中で活動している「公益財団法人 大倉精神文化研究所」理事長の平井誠二さんに、設立経緯や事業内容、地域との関わり、大倉山エリアの魅力を聞いた。
人間の心を豊かにする精神文化の普及のために研究所を設立
――まずは『大倉精神文化研究所』の概要について教えてください。
平井理事長:活動内容は主に3つあり、精神文化の研究、地域の歴史や文化の研究、附属図書館の公開です。精神文化とは心豊かな生き方のことで、平たく言えば、思いやりを大切に周りの人と仲良く生きることです。日本の伝統的な文化や思想を軸に、世界中の良い考えをすべて取り入れるようにしています。
施設の名称は創立者である実業家、大倉邦彦さん(1882(明治15)年-1971(昭和46)年)の姓から来ています。邦彦さんは、一人の人間と日本と世界は三位一体で、一人を立派に育てることが世界全体を良くすることにつながると考えていました。戦後、A級戦犯容疑で捕まってGHQに取り調べを受けたときも、戦争協力者どころか世界平和を願う理想家だと結論づけられて釈放されました。
邦彦さんが考える理想的な人間とは、誘惑に負けず正しい行いができる、強い心と知性を兼ね備えた人。この建物はその考えを形にしたもので、例えば正面吹き抜けの上部にはライオンやワシの彫刻が施され、「上からすべてを見ている神様は騙せないので正直に生きなさい」という思想を表しています。こだわりが詰まったギリシャ風(プレ・ヘレニック様式)の建物はドラマや映画のロケ地としても人気があり、建物を見るために遠方から足を運んでくださる方も多いです。現在は横浜市の所有で、横浜市の指定有形文化財になっています。一部を研究所が借りるという形で使っていて、残りの部分は市民利用施設として公開されています。
――『大倉精神文化研究所』の設立経緯や歴史について教えてください。
平井理事長:邦彦さんは佐賀県出身で江原という姓でしたが、大倉孫兵衛が創立した紙問屋「大倉洋紙店」に就職し、大倉家に婿養子として迎え入れられました。孫兵衛は出版業を営んでいて、洋紙店も家業のひとつでした。今の森村グループにつながる優れた実業家で、家業の傍ら陶器の製造・輸出も手掛けていました。日本陶器(現ノリタケ)、東洋陶器(現TOTO)、日本ガイシ、日本特殊陶業などはすべて森村グループの系列です。孫兵衛は金儲けより取引先の満足を重視し、社員教育に力を入れました。この考え方を邦彦さんも受け継ぎましたが、大人になってからの教育には限界があると感じ、幼稚園をつくりました。東洋大学の学長になったり戦争が始まったりで、系統だった学校づくりは実現しませんでしたが、小中高大すべて開設するつもりだったようです。
1932(昭和7)年、心豊かな生き方の研究や心豊かな人の育成を目的に、邦彦さんは私財を投じて研究所の本館として大倉山記念館を建てました。昔この辺りは太尾町(ふとおちょう)といって東急東横線の駅も「太尾」駅という名称でしたが、このとき当研究所と東急で話し合い、駅名が「大倉山」に変わりました。それからこの辺が大倉山と呼ばれるようになり、定着したことから、平成になってから町名も大倉山になったんです。昔は近くの鶴見川がよく氾濫を起こしていて対岸の新羽(にっぱ)とともに水害が多く、当時は「太尾と新羽には嫁にやるな」と言われていたため、町名変更にはそのイメージを払拭したいという地元住民の意向もありました。
貴重な資料を公開し、近隣住民に地域について知ってもらう
――公益目的事業の一つとして「横浜市港北区地域の研究」もなさっているとお聞きしました。その内容を詳しく教えてください。
平井理事長: 92年の間に蓄積された資料の中には、古い写真や商店の伝票類、隣の綱島に昔あった温泉旅館のリーフレットなど、地域に関するさまざまな資料が出てきます。原稿執筆、講演会や展示会の開催などを行うことで、そういった貴重な資料を地域のみなさんに紹介しています。区役所の情報誌「楽遊学」に「シリーズわがまち港北」を、新聞販売店の情報誌「大倉山STYLEかわら版!」に「大好き!大倉山」を連載しています。
私の専門が歴史研究ということもあって、歴史トリビアなどを紹介することが多いです。例えばこの辺では昭和初期に「日月桃(じつげつとう)」という極早生の桃栽培が盛んで、7年ほど日本一の生産量を誇っていました。また、JR横浜線の「小机」駅近くには続日本100名城に入る「小机城」というが城があり、マニアの間では有名です。戦前に活躍した日吉出身の横綱の紹介展示は定番で、港北図書館で毎年開催しています。他にも、地域の名所旧跡が歌い込まれていることが多い小学校の校歌の歌詞を分析する、なんていうこともやっています。
――大倉山エリアとの関わり、地域の方々との交流について教えてください。
平井理事長:
地名もそうですが、当施設は大倉山のまちづくりにも影響を与えています。駅の西側に延びる「エルム通り商店街」は、大倉山記念館の建物をコンセプトにしています。40年近く前になりますが、古い商店街が1年かけて作り直されました。歩道を整備し、電線を地中に埋め、大倉山記念館にちなんでギリシャ風の街並みにしたんです。そしてアテネ市のエルム通りと姉妹提携を結び、「大倉山エルム通り」と名付けました。ユニークな取り組みとして新聞やテレビで連日報道され、当時は日本中から視察が来たそうです。
地域との関わりは今も強く、「大倉山公園愛護会」「大倉山秋の芸術祭実行委員会」「港北映像ライブラリ」「鶴見川舟運復活プロジェクト」といった市民活動にも参加しています。また、紙芝居の制作と上演を行う「たまてばこ」という市民団体に、港北地域の昔話を伝授することもあります。近隣の小学校の子どもたちが地域学習で記念館見学に来ますし、私が学校に出向いてお話をすることもあります。すぐ裏の「大曽根小学校」をはじめ「太尾小学校」「大綱小学校」「師岡小学校」、川向こうの「新吉田小学校」や「新羽小学校」などですね。港北区には36万人ぐらいの人口がいるので学校も多いです。
子育て環境と交通利便性に恵まれ、多くの公共施設に徒歩で行ける大倉山エリア
――最後に、大倉山におけるおすすめのスポットや、今後大倉山に住むことを検討している方へのメッセージなどをいただけますと幸いです。
平井理事長:個人的なイチオシは、やはり目の前の「大倉山公園」ですね。よく手入れされた花壇、そして桜。昔から有名な梅林の素晴らしさは言うまでもありませんが、実は桜もかなり多く、梅の時期ほど混まないのでおすすめです。駅からこの研究所に向かう記念館坂から見る風景も好きです。晴れた日には富士山が見えるんですよ。あとは大倉山の西の外れにある「太尾南公園」。小川が流れていてザリガニなんかもいます。そして鶴見川の堤防。気持ちのいい散策が楽しめて、日産スタジアムと富士山が並んだ景色を見ることができます。
大倉山での生活を考えている方には、ここの住みやすさをお伝えしたいですね。大きく3つあり、1つは子育て世代に優しい環境。保育園がたくさんあり、広い「大倉山公園」は毎日保育園の子どもでいっぱいになります。先ほど挙げた「太尾南公園」も「港北水再生センター」の屋上に設けられていて車は入れませんし、ある程度広さもあります。こういった子どもを安心して遊ばせられる公園がいくつもあります。歩いて行くには遠いですけど、鶴見川のほとりには「新横浜公園」という横浜一大きい公園もあり、野球場、サッカーグラウンド、テニスコートなど多彩なスポーツ施設もあります。今年度中に横綱照ノ富士が寄贈するという土俵も完成が楽しみです。
2つめは交通利便性の良さ。電車の相互乗り入れが多く、渋谷にも横浜にも30分かからず行けます。新幹線の「新横浜」駅に歩いて行けるのも便利ですし、駅前の「新横浜プリンスホテル」からは羽田空港行きのリムジンバスが出ています。
3つめは公共施設が集中していること。区役所や税務署など大抵の施設が徒歩圏内にあります。「港北図書館」も大倉山と菊名の間ぐらいなので歩いて行けます。
港北区には山も川も、田んぼも畑もあって、大学も商店街もある。新幹線の駅も地下鉄の駅もある。一通りそろった、非常に住みやすい場所だと思います。その中心にあるのが大倉山です。
公益財団法人 大倉精神文化研究所
理事長 平井誠二さん
所在地:神奈川県横浜市港北区大倉山2-10-1
電話番号:045-542-0050(代)
FAX:045-542-0051
URL:https://www.okuraken.or.jp/
※この情報は2024(令和6)年8月時点のものです。