新横浜エリアガイドSHIN-YOKOHAMA areaguide

写真家かつお氏が撮る「新横浜」の新たな魅力

日本全国の市町村がいくつあるか、皆さんはご存じだろうか。その数全1741市町村となる。そのすべての土地や暮らしに特徴があって、だからこそそれを紐解くことに価値がある。そんな思いを抱きながら、すべての市町村を自らの足でめぐり、そして写真に収めてきた若き写真家が、近々、2週目の全国をめぐる旅に出るという。数々の土地を見てきたその写真家の目に、開発の進む土地「新横浜」はどのように写るのだろう。写真家 かつお(仁科勝介)さんに、間もなく相鉄・東急新横浜線の開業を控えた2023(令和5)年のある日に、新横浜を歩いてもらった。

写真家 かつお(仁科勝介)氏
写真家 かつお(仁科勝介)氏

写真家 かつお(仁科勝介)
写真家。1996年、岡山県倉敷市生まれ。広島大学在学中に、日本の全1741の市町村を巡った。『ふるさとの手帖』(KADOKAWA)をはじめ、2022年には『どこで暮らしても』(自費出版)を刊行。

「新」横浜が地名になるとき

全国には「新」の文字が頭に付いた、新幹線の駅名がいくつかある。たとえば「新大阪」や「新神戸」、そして、「新横浜」。いま、新横浜は変化を迎えている。東海道新幹線と横浜線と地下鉄ブルーラインに加えて、相鉄と東急が直通となる新しい路線が、2023年3月に開通するのだ。わたしたちはますます、新横浜という言葉を自然に使うようになるだろう。

ただ、新横浜はまだまだ新しい街だ。駅前にはきれいなオフィス街が並びつつも、少し歩いた鶴見川沿いには、広々とした新横浜公園が現れる。日産スタジアムも近い。そして、新しいマンションも増えて、暮らしがより広がりつつある。いま新横浜には、どのような時間が流れているのだろう。そう気になって、街を歩いた。

横浜線を降りて、立体交差する新幹線の線路を眺める。土曜日の朝、駅ではキャリーケースの音があちこちで鳴っていた。改札を出て地下に降りると、市営地下鉄のブルーラインが通っているが、そこに向かうぼくの横をエスカレーターで上がっていった、欧米からであろう夫婦の旅行者は、いったいどこへ旅に出るのだろう。

今にいたる新横浜のことを、新幹線開業によって駅が誕生した1964年を基準にすると、約60年の歴史になる。駅の北口を中心に開発は進んだ。1992年にはプリンスペペ、2008年にはキュービックプラザと、隣接する商業施設も誕生し、生活に関するお店も充実した。

車の交通の要衝であることも忘れてはいけない。新幹線と並行して通る環状2号線は、横浜市の中心部をぐるりと囲んでいる。横浜線をまたぐ、空へ膨らむ2号線も象徴的だ。ここですくすくと成長する子どもたちにとって、それは新横浜らしい景色として、土地の記憶にもなると感じられた。

駅の北側は、オフィス街やマンションが広がっている。区画は碁盤目状に整備され、冬の葉を落とした街路樹は、一様に枝を空に伸ばしていた。そして、1日中歩いていたので時間帯は変わるが、徒歩圏内でグラウンドにも辿り着く。ベンチで談笑するおばあさんたちの奥で、元気な野球少年の声が響いていた。さりとて、オフィス街へ戻ってポティエコーヒーに入ると、子ども連れの家族や、ひとりで本を読む男女、こちらにも平穏無事な世界が現れたのだった。ほかにもいろいろな飲食店はあるし、それぞれお気に入りの場所での、休日の過ごし方があるように思われた。

徒歩で移動できる、コンパクトに整った街のサイズ感。歩きながら、オフィス街かのんびりした屋外のいずれかを選ぶことができる感覚だ。オフィス街と生活の姿が、境界線を持たずに握手している。さらに小川を渡れば、雰囲気はまた一変する。そのバランス関係が新横浜の特徴かもしれない。

環状2号線に沿って西へ進むと、マンションの割合が増えることに気づく。途中、近所なのであろう2組の家族とすれ違った。お互いの目的地は違うようで、横断歩道で子どもたちが「バイバーイ!」と手を振り合い、親御さんたちも挨拶を交わした。きっと、それだけが街の姿ではない。ただ、子どもたちにとっては、「新横浜」とは駅名だけではなく、育つ街の名前なのだということをしみじみ感じた。

マンションが建ち、人々が暮らすこと。土地の価値は、立地や交通機関の利便性が左右する。新しく開通する新横浜線は、それが単なる路線ではなく、新幹線という大動脈を含めたものであるから、変化はますます加速するだろう。しかし、子どもたちにとってはさほど、関係のないことなのかもしれない。外の街を見ない限り、違いはわからないから。だから、どのように街が変化しても、あの手を振り合う光景があればと思う。子どもの明るい雰囲気は、街全体の雰囲気であるから。

新横浜公園に向かう道中、嬉しい感情を持った。空が広かったからだ。大都市にはあまり残っていない、原風景とまではいかないかもしれないが、広々とした空がここにはあった。小川沿いの小さな公園では、ブランコで遊ぶ親子の横でジジジ、と小鳥が楽しそうに鳴いていた。

新横浜公園の周辺は、日産スタジアムが堂々とそびえ、奥には高速道路も走っているが、駅近くのマンションだけではなく、郊外の気配を残す閑静な住宅地も多い。だから、ここに暮らす人々はたくさんいる。そして、人々が駅だけではなく、空の広いのんびりとした場所に行きたいのであれば、それは鶴見川沿いの新横浜公園が、ぴったり当てはまるだろう。朝から陸上の練習をする子どもたち、バスケを楽しむ親子、スケボーの特訓をする若者たち。いろいろな年齢の人々で賑わっていた。そして、もし大きなエネルギーを感じたいならば、目の前に日産スタジアムもある。つくづく面白い場所だと思った。

駅の北口には整ったオフィス街と商業施設、そして、マンションが近い距離感で広がっている。その奥には、新横浜公園や日産スタジアムを中心とする、広々とした景色がある。つまり、どちらもがコンパクトに広がっている。なのに、新幹線の停車駅もある。交通の便はもっと良くなる。独特のバランスなのだ。人それぞれの好みだとは思うけれど、ぼくは子どもが楽しく暮らせることがいちばん好きで、訪れた土曜日の日、子どもの声をたくさん聞いた。専門家ではないから、新路線が開通したのち、何年後どのように街が変化するのかはわからない。ただ何より、「新横浜」という土地の名前に、ますます進化する強さと、今もある温かさが浸透するといいと思う。

写真家かつお氏が撮る「新横浜」の新たな魅力
写真家かつお氏が撮る「新横浜」の新たな魅力

今回の執筆者

写真家 仁科勝介(かつお)
1996年、岡山県倉敷市生まれ。広島大学在学中に、日本の全1741の市町村を巡った。『ふるさとの手帖』(KADOKAWA)をはじめ、2022年には『どこで暮らしても』(自費出版)を刊行。
URL:https://katsuo247.jp/profile/
※この情報は2023(令和5)年3月時点のものです。

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