久地かすみ堤の会 久郷則男さんインタビュー

住民の熱意によって国の方針が転換。保存が決まった「久地かすみ堤」

多摩川右岸沿いに広がる、川崎市高津区。この地域に古くからある集落のひとつが「久地」である。多摩川流域にある久地は平坦な地形だが、その中に一筋だけ盛り上がった土手状の地帯がある。春には桜が咲き誇るこの土手は、地元の人々に「かすみ堤」と呼ばれている、旧多摩川堤防の一部。地域を水害から守ってきた、先人たちの知恵が詰まった土手だ。
2007(平成19)年、国有地であるこの土手に、民間業者への土地売却の話が持ち上がった際、「地元のシンボルを守りたい」と発足したのが「かすみ堤を保存する会」だ。今回は会の代表として「かすみ堤」の保存活動をおこなってきた久郷則男さんに、「かすみ堤」の歴史や保存活動、久地エリアの魅力について、お話を伺った。

多摩川の氾濫を防ぎ、住民に豊かさをもたらした歴史ある堤防

――まず、「かすみ堤」について教えてください

「かすみ堤」は多摩川の治水のために、江戸時代に農民の手によって作られたといわれています。昭和初期に新しい堤防が多摩川沿いに建設されたため、現在は堤防としての役割は無くなり、多摩川の「旧土手」の一部となっています。
もともと武田信玄が発明したといわれている堤防に、大水が出た時には水を流して、引いたらまた元に戻るという、ハの字をした堤防があり、これを「信玄堤」や「かすみ堤」といったそうです。これに似た形をしていることから、いつからかこの土手は「久地のかすみ堤」と呼ばれるようになったそうです。多摩川の氾濫を防ぎ、人の命や家を守って、お米の収穫量も増やした、歴史のある堤防です。

現在はおよそ700メートルが残っているだけですが、昔の地図を見ますと、二子新地の辺りから「久地の横土手」というところまで堤防が続いており、多摩川から2.3キロ~2.5キロくらいあったことがわかります。
江戸時代に地域の農民を中心に自然発生的に作られたのではないかともいわれていて、江戸中期には田中丘隅(きゅうぐ)という人が改良に貢献したと言われています。大正時代にももう一度大改修が行われたため、堤防の中は3層になっているそうです。まさに「歴史の積み重ね」がある、素晴らしい土手です。

昔の多摩川は、今のように一直線ではなく、当然ダムも無かった時代ですから、増水すればすごい勢いで流れてきたわけです。それを食い止めていた堤防ですから、非常に強い造りをしています。今行われている多摩川の堤防の改良工事でも、この「かすみ堤」を参考にしていると聞いています。震災も戦争も乗り越えてきた、貴重な土木遺産だと思いますから、ぜひ沢山の人に知っていただきたいと思っています。

多摩川の氾濫を防ぎ、住民に豊かさをもたらした歴史ある堤防

――なぜ「かすみ堤を保存する会」が立ち上がったのでしょうか?

「かすみ堤」は国有地で、昔から河川の一部として扱われていた土地なのですが、10年ほど前に、その一部の、久地にある土手を売却処分するという話が出たんです。その時に、久地二丁目町会では、「昔から愛してきた土手がなくなったら大変だ」と、売却中止を求める請願を出したんです。
町会としては、「請願を出したからもう大丈夫だろう」と思っていたのですが、請願から5年経っても、状況は何も変わりませんでした。市に問い合わせてみると、「まだ結論が出ない」と言いますし、国のほうからも「もうこれ以上待てない」という催促があるという状況でしたから、「これはもう1回請願を出さないとまずい」となりまして、2012(平成24)年に2度目の請願に至りました。この時には、久地だけではなくて、この周辺地域一帯の人で署名活動を行い、4,000人の署名と一緒に提出しました。その2回目の請願の時に、「かすみ堤を保存する会」が結成され、「かすみ堤」の保存についてアピールをしてきました。最初の請願から10年目となる昨年(2017年)にようやく、国は売却を中止するということで、正式に回答をしてくれ、今後も従来通り、河川敷として残すことが決まったんです。この決定はニュースや新聞でも沢山取り上げていただきました。

――「かすみ堤を保存する会」では、今までどのような活動をされてきたのでしょうか?

定期的に会合をしたり、勉強会をしたり、行政との交渉をしたり、かすみ堤のアピールをしたり、といった活動が中心になっています。地元の小学生が授業で話を聞きにきてくれることもあるので、その時には説明をしたりと、かすみ堤の価値について、より沢山の方に知ってもらうための活動も行っています。去年の2月に保存が決まって以降は、「保存」という名前は取って、「久地かすみ堤の会」という名前に変更して活動しています。今後は保存ではなく、どうやって利用・活用していくかということを考えながら、引き続き活動を続けていきたいと思っています。

――地元の方はどういった思いで「かすみ堤」を見つめ、活動されてきたのでしょうか?

私ども久地二丁目町会は平瀬川(多摩川の支流)と、この「かすみ堤」の土手に囲まれている地区にありますので、川崎方面からこの町会に来ようとすると、土手がちょうど玄関口になるんです。昔からここで町会のお祭りをやったり、お花見をやったり、子ども会の行事をやったり、いろいろな活用をしてきましたので、この場所にみんな、すごく愛着を持っています。そこを無くしてしまうという話が出たわけですから、「それはとんでもない!」ということで一致団結しまして、この一連の請願が起こったわけです。国は自然災害対策のためと保存することに決めたと説明をしていますが、町会が一丸となって保存活動をして、その成果が認められて、保存が決まったものだと思っています。

――今後、この「久地かすみ堤」をどのように利活用していきたいとお考えですか?

今でも国有地であることは変わらないので、今後については「自然環境豊かな散歩道の確立」を目標にして、今までと同じように美化活動は続けていきたいですし、現状では土手の上の一部が国の資材置場になっていて、金網のケージの横を通るような箇所もありますから、それを改善して、もっと気持ちよく散歩できるように、行政や国に対して働きかけていきたいと思っています。今年からは「高津区役所」が発行しているパンフレットにも、「高津のさんぽ道」ということで「かすみ堤」を紹介してもらっていますので、今後はもっといろいろな方に来ていただけるような場所になっていくと思います。治安の面なども考えたうえで、バランスよく開放していって、今よりももっと魅力的な場所にしていきたです。また、土木遺産としても貴重なものだと思うので、その歴史や貴重さを教えるような活動もしていきたいです。

――最後に、高津区久地エリアの魅力を教えてください

いちばんは、自然が多いことでしょうか。筆頭が「かすみ堤」ですが、春にはつくしやふきのとうも出ますし、桜、スイセン、ヒガンバナなど、季節ごとにいろんな花も咲きます。冬でも、降り注ぐ陽の光の中を、枯れ草を踏みしめながら、草の芽を感じながら散歩すると、非常に気持ちがいいですよ。そのまま多摩川にもつながっていますので、自然も沢山感じてもらえると思います。それから、反対側に行けば七面山(しちめんやま)という、ちょっとした山もありますし、くじが当たることで有名な「久地神社」や、「久地円筒分水」という珍しい形の分水樋もありますので、散歩をすると楽しい地区だと思います。多摩川の向こうはすぐに二子玉川で、歩いて行けるような距離ですから、交通の便は非常にいいですね。溝の口も便利な駅で、駅の周りにはいろいろなお店があって、全体的にものの値段も安いですから、生活するには便利だと思います。久地の町会についても、どこか下町的な感じがあって、みんながつながっていて、人情がある、いい町だと思いますよ。

久地かすみ堤の会

代表 久郷則男(くごう・のりお)さん
※この情報は2018(平成30)年4月時点のものです。